ヨゼフ・ビファー醸造所の歴史

Josef Biffar醸造所とKathrinenbild醸造所が納まった、歴史的な航空写真

Josef Biffar醸造所とKathrinenbild醸造所が納まった、歴史的な航空写真 (1900年ごろ)
1. Josef Biffar醸造所
2. Kathrinenbild醸造所

ヨゼフ・ビファー醸造所 の歴史は1879年までさかのぼります。1723年にフランスのリヨンからダイデスハイムに移り住んだビファー家の当主アダム・ビファー(Adam Biffar)によって設立されました。当時建設された醸造所の建物は、その時代を代表する立派な建造物として文化遺産に登録されています。2017年に、文化遺産保存局と消防局の指導の下で、大々的な改修工事が行われ、ダイデスハイムの街が誇りとする建造物としての輝きを取り戻しました。ワインの生産においては、ビファー家はいち早く有機栽培に取り組み、高品質ワインの生産者としてその名が広く知られていました。

伝統あるヨゼフ・ビファー醸造所ではありますが、あいにく後継ぎがなく2010年には醸造所の廃業が決まっていました。

同じ時期に、日本人醸造家、徳岡史子が熟成中のワインとゼクトの保存スペースを探していました。彼女は、ダイデスハイムで20年以上にわたって老舗醸造所、ライヒスラート・フォン・ブールを率いていた日本人事業家、徳岡豊裕の娘で、2013年に醸造所の経営権契約が終了するに際し、シュ-ル・リー(sur lie=ワインを発酵酵母と熟成させること)過程最中の価値ある未完成品を契約終了までに移動させなければいけないという仕事を抱えていました。ドイツガイセンハイム大学で醸造学を学び、その後10年間にわたってガイセンハイム大学で酵母の最新の研究にも携わっていた彼女は、シュ-ル・リー過程がワインの品質向上にとって重要であることを科学的な側面からだけではなく、自らの醸造経験からもよく理解していました。そこで、代々素晴らしいワインを生み出し、世に送り出していたビファー家のワインセラーを自らのワインを熟成させるスペースとして貸してもらえないか交渉を始めます。ライヒスラート・フォン・ブールでの醸造所経営に対するそれまでの実績と品質に対するひたむきな熱意、確かな専門知識に対し、ビファー家からの深い信頼を得て、交渉内容はワインとゼクトの保存熟成スペースの賃貸だけに留まらず、ヨゼフ・ビファー醸造所の伝統継承の依頼を受けることになります。

Das „Kathrinenbild“, jetzt Teil des Weingutes Josef Biffar

1892年築のKathrinenbild醸造所、現在はJosef Biffar醸造所の本館となっている。

カトリーネンビルト醸造所の歴史は、波乱に富んでいます。ユダヤ人家系のファイス家がダイデスハイムのカトリーネンビルトと呼ばれる区画で1892年に醸造所とワイン商を創立させ、当時の建設技術を駆使した立派な醸造所を建設しました。ちょうどビファー醸造所創設の13年後のことです。当時の当主ルイ・ファイス(Louis Feis)とビファー家の当主アダム・ビファー(Adam Biffar)は、隣接の醸造所として交友関係がありました。しかし、1920年終盤にファイス家のワイン事業が倒産し、不動産はドイツ銀行の手に移ります。その後1930年代に地元のワイン協同組合が館を買取り、1980年代まで協同組合のワインがここで生産されます。その後、協同組合の生産場所の移行に伴い、カトリーネンビルトでの生産活動は徐々に減少し、2010年には荒廃した状態で再度売りに出されます。2013年にライヒスラート・フォン・ブール醸造所での長年の経営権契約が終了するに際し、新しい生産活動の場を探していた日本人醸造家、徳岡史子がカトリーネンビルト醸造所の再建に動き始めます。ダイデスハイムの中でも、すでに忘れ去られていたカトリーネンビルトの、本来の醸造所としての機能を呼び起こし、最新の技術導入した生産設備を歴史的建造物に組み入れる大改築が完成するのは2012年になります。2013年には、カトリーネンビルト醸造所だけではなくビファー家の伝統継承も引き受け、両醸造所をヨゼフ・ビファー醸造所として、引き継ぐことになります。

2013年末には、本格的な日本料理とドイツワインが楽しめるワインレストランfumiが、醸造所内にオープンし、ドイツワインと和食を楽しむ新しい食文化の発信地として、ドイツのグルメ界に大きな反響を与えています。
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